Fate/stay night [Heaven’s Feel]から知る幸福の心理学

2020-8-31

/

2020-9-5

不幸な人は不幸な過去に縛られている限り、不幸から抜け出せない

というのがある。(加藤諦三さんの本で読んだ気がするけど書名は忘れた。)

Fate/Stay Night[Heaven’s Feel]という映画を最近見て、その言葉を思い出すシーンがあった。

https://www.fate-sn.com

Fateというアニメが存在する。作品の大筋とは少しずれる(とはいえ大事なシーン)が、幼くして当主としての責任を負う姉の凛と、幼くして養子として他の家に出され、虐待をうける妹の桜という、姉妹が描かれている。

二人は別々に暮らしていたが、桜が犯罪的になり、鬼気迫るシーンがある。このとき桜が今までの恨みを吐き出し、「私はこんなにもかわいそうで不幸。私は普通の子じゃないの。」と凛に強くあたる。

不幸の人は不幸でいた方が楽だから不幸のままでいる

その桜に対して凛が

「――ふうん。だからどうしたって言うの、それ」

と返したのは強く印象に残った。(未視聴の人にうまく伝えられないのがもどかしい)

桜は周りの目から見ると、不幸でかわいそうな子だったかもしれない。他人から同情や心配をしてもらえた存在かもしれない。不幸に甘んじることができていたかもしれない。

過去に不幸なことがあったから今とても辛いんだと嘆いている。

過去の不幸に今の幸せは関係ない

凛の

「――ふうん。だからどうしたって言うの、それ」

はまさにそれを蹴り飛ばす言葉である。不幸であることに全く同情していない。しかしこれは本当の優しさであり、愛である。

これから幸福になりたいのなら、過去に縋っている自分をやめなければいけない。もちろん、それはとても辛いことである。凛の一言は真理であり、極論であり、劇薬である。すぐに飲み込めないかもしれないが、それはその通りなのである。「自分は不幸」だと嘆く人が抱く「普通の人」になりたいという思いは、過去の体験にすがり、利用している限り、幸せで普通の人になれない。

幸福になるためには、今、この瞬間から自分が幸福になると心に誓う

桜にとって、凛は憧れであり、自分の体験できない幸せを知る者であり、自分の幸福を奪った者である。

桜自身が不幸である代わりに、凛はぬくぬくと幸福を楽しんでいると思っている。

しかし、凛は凛なりの不幸がある。

妹が養子として送り出される様子を見ることしかできない後ろめたさが彼女を苦しめた。(誰よりも妹を思っていた。)

当主としての威厳を保つためにその名を背負っていた。

(ただ、彼女は過去の辛い体験に縛られず前を向いていた。)

不幸だと嘆く人は自分の不幸ばかりに目がいき、自分のことで頭がいっぱいになる。自分の不幸を呪い続ける。自分のことを見るばかりで他人の不幸が見えない。

不幸から解放されると、他人の不幸も理解できるようになり、自分だけが不幸ではないと思える。自分は今辛いかもしれないけれど、他の人だって頑張っていると思える。

不幸から逃れるためには、今から自分が「幸福である」と誓うことから始まる。

それが幸福の条件であり、「普通の人」になるための道である。

そして「普通の人」というものは、自分がステレオ化したただの幻想に過ぎないと理解できるようになる。

とまあ映画見て思ったのでありました。